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コンサートは演奏家の“逡巡や逆上や投企の現場”である

KIMG0848 (480x640)こんにちは。おんじゅく代表 のじま えみ です。

自分もこうなりたい!と思う人のひとりに、松岡正剛さんがいます。彼の千夜千冊は、私の知的好奇心を刺激して止みません。

松岡さんは自身の著書「アートな言葉」のあとがきで、アートに関する自分の好みを、

こう表現しています。

 

『どうやら、ぼくにとってはアートはたんなる芸術作品ではないようだ。美術館やギャラリーに陳列されているものとも見えてはこない。それらはアーティストの逡巡や逆上や投企の現場なのである。』松岡正剛著「アートな言葉」(求龍堂)2011より

 

 

このセイゴウ好みは私の好みでもあります。

私が最近行ったクラシックコンサートの中で、アーティストの逡巡や逆上や投企の現場だということを特に強く感じたのは、2019年8月30日都内で開催されたピアニスト藤本江利子氏のリサイタル「雨、ときどき光」。本人が実験と話すこのコンサートで彼女は、音で、言葉で自分自身をさらけ出していました。

 

音で、言葉で、、、

 

私たちはアーティストの逡巡や逆上や投企を、その作品や演奏から感じ取りますが、自分のコンディションや芸術への理解度によっては、それがうまくいかない時もあります。そんな時に、アーティストが言葉で説明しようと試みてくれる(そもそも言葉に言い表せない「何か」が作品なり演奏なので、“試み”と書きました。)ことが、とても助けになると思うのです。ですので、コンサートでのトーク、プログラムやCD解説といったあらゆる手段を活用して、音楽家が自身の逡巡や逆上や投企を言葉で説明しようと試みてくれることは、私が音楽を楽しむ上で欠かせません。

そんな自分は、次の自分のコンサートのお客様のペルソナです。

私も、今を生きる一人の人間として逡巡し、時に逆上し、社会に自分自身を投企しています。私のコンサートでは、(勇気はいりますが…)惜しげもなくそれを発露し、同様に逡巡し逆上し投企している人に、何かを感じてもらえればと思っています。

次回自主企画コンサートの予定はまだ未定ですが、決まり次第LINE@やこのブログでお知らせしますので、よかったらチェックしてみてくださいね(#^.^#)

最後までお読みいただきありがとうございます。

それでは今日はこの辺で!

今日も素敵な音楽を奏でましょう♪


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