こんにちは。おんじゅく代表 のじま えみ です。
先週開催された三重県菰野町・パラミタミュージアムにおけるパラミタコンサート、
たくさんの方にご来場いただき、本当にありがとうございました。
今日は、パラミタコンサート「夢~トロイメライ~」開催にあたり、考えてきたことなどを綴りたいと思います。
「この世は幻・・・」
昨年末、認知症を患っていた祖母を看取った母のつぶやきに、ハッとしました。
調子の悪い日には、自分の娘に「あんた誰?」と問いかける祖母。
信じていたものが崩れ落ちる・・・
存在への問いは、大昔から現在に至るまで、世界の知性が挑戦してきた問題で、(そういえば哲学界のロックスターと騒がれているマルクス・ガブリエルは「一角獣は存在する」と言っていたっけ・・・)
私がここで言えることは何もないけれど、哲学という学問の系譜を知らない一人の生活者として、
上記の母のつぶやきをきいて感じたのは、
この世=在るもの 幻=無いもの という設定の根拠のなさです。
さて、ここで音楽の話に戻ると、今回のコンサートはシューマンの「子供の情景」にすっかり参ってしまい、
この(シューマンの最期を知っているだけに)狂気の沙汰のように思えるスゴイ作品が一体何なのか、
少しでも近づきたいというところからスタートしました。
そこでシューマンの愛した文学や、ドイツロマン派の研究書などを読み漁り、
彼らの言っている「夢見ること」は、私がこれまで持っていた夢見るイメージ=「深い考えが欠如した自分に都合の良い想像」とは違うことがわかってきました。
シューマンに大きな影響を与えたジャン・パウルの著書「生意気ざかり」で示された”夢”は、
牧歌的な装いをまとっているものの、その達成を妨げる現実への告発をひそめたもの。
夢が提示されることで、かえってみじめな挫折感だけが残るのです。
子供の情景について、トロイメライには毒がある、そんな風に解釈することもできるかもしれません。
第10曲「きまじめ」の憂鬱を招くのは「夢」なのか。
私がハッとさせられた母の言葉「この世は幻」 言い換えれば、幻がこの世 という考えは、
19世紀のロマン派の面々が考えてきた重要なテーマのひとつではなかったかと。
そんなことをごちゃごちゃと考えながら、トークを交えてのコンサート。
ききながらウンウンと頷いてくださるお客様も多く、ありがたかったです。
シューマンの子供の情景を中心に、
シューベルト、リスト、ヨハン・シュトラウスといったロマン派の面々の作品を演奏させていただきました。
三重県菰野町にあるパラミタミュージアムは、自然豊かな鈴鹿山脈に囲まれ、
池田満寿夫氏の陶彫「般若心経シリーズ」をはじめとする多彩なコレクション群と、
毎度魅力あふれる企画展を開催されている、大変素晴らしい美術館です。
自然と彫刻作品が溶け込むガーデンも魅力的。
ぜひ三重県を訪れる際には、足をお運びください。
それでは今日はこの辺で。
今日も素敵な音楽を奏でましょう♪