2024年6月1日(土)アリエッタフレスカピアノコンサート(電気文化会館ザ・コンサートホール・名古屋)、無事終演いたしました。ご来場下さった皆様、ありがとうございました。尊敬する恩師の呼びかけの下、各地で演奏活動をしているピアニストが集って、それぞれの精一杯の演奏を披露する同シリーズも、来年がついにラストになりました。ラストに向けて気持ちよくバトンを渡せるように、各々熱演が繰り広げられました。私は、ワーグナーの楽劇「トリスタンとイゾルデ」より、前奏曲とイゾルデの愛の死を演奏しました。愛の死はリスト編曲のものがよく演奏されますが、前奏曲はあまりピアノソロで弾かれる機会は多くない曲です。息の長い弦楽のうねりの表現は、どちらかといえば鍵盤楽器ピアノの不得意とするところですが、あまりにこの曲が大好きすぎて選曲しました。生まれ変わったらオーケストラの奏者になりたいと夢見ながら…
■ ワーグナー 楽劇「トリスタンとイゾルデ」より前奏曲とイゾルデの愛の死について ■
前奏曲の出だしを、音楽修辞学に当てはめて考えてみると、見事に楽劇全体を凝縮していることがわかります。憧れを表す6度上行に、「愛」を表す音型(A→F→E)が絡まり、それに連なって半音階下降(苦難の歩み)と上行音型(希望)が同時に反進行(内的な心情)します。繰り返される絶句の表現(休符)は、死に向かわざるをえない袋小路な状態を想像させます。
前奏曲と愛の死は、続けて弾くと約17分ほどありますが、弾いていて、まるで時が進んでいないかのような錯覚に陥ります。なぜなのか自分なりに考えてみたところ、音楽が表現している心情に、変化・発展がないことが理由ではないかと思い至りました。心情に変化・発展がない、とはつまり、トリスタンと公然と結ばれる理想郷に憧れ、死を覚悟し、彼岸に希望を見出そうという気持ちで満ちていて、考え直す気もなければ、他の選択肢に気持ちがざわつくこともないという状態です。自閉的とも言える強い内面世界。トーマス・マンの名著「魔の山」の登場人物ヨアヒムが、軍務に就くことに憧れながら、体が言う事をきかずに結核病棟に居続けている時の、「ここ(結核病棟)では、時間なんて流れていない!」というセリフが思い出されます。理想が現実と一致せず、苦しい思いをするのは人間の性でしょうか。その共感から、私はこの曲を弾きたくなるし、この曲が多くの人の胸を打つ所以なのではないかと思います。